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2006年09月16日(土)
防犯のまなざし
ある日の朝7時半頃のことだった。
小学校1年生とおぼしき女の子が、一人で、見るからに寂しげに歩いてきた。
まるで何か問題が発生して、さまよっているかのように見えた。
「どうかしたの?」
私は、精一杯やさしさを込めて声を掛けた。
一瞬立ち止まって振り向いた少女の顔は、恐怖に怯えていた。
「ねえ、どうかしたの?」
私は問題が切迫していると感じ、歩み寄って聞き直した。
すると、少女が全身で反応した。
「知らない人から声を掛けられたら逃げるのよ!」と。
そうか、そうだったのか。
私はその瞬間に恐怖を覚えた。
あの子が、もしも、いや、たぶん母親にこう訴えるはずだ。
「変なおじさんに声を掛けられた」と。
少女のあの表情を見た母親は、すぐに110番通報をするかもしれない。
「変なおじさんは、あわてて白い車に乗って逃げていった」
少女の証言は絶対視され、警官は迷わず緊急手配を要請する。
「少女誘拐未遂!」
その日、終日心が晴れなかった。
あのような場合にどうすればよいのか?
反芻していると、「さわらぬ神に祟りなし」という答えに辿りつくのだった。
ロンドン郊外の住宅の入り口に、ミーアキャットのマークが貼られていた。
ミーアキャットは、立ち上がって辺りをキョロキョロとせわしなく眺め回す習性がある。そのように、この辺りの近所同士は防犯のまなざしを大切にしているという意思表明なのだ。警備会社のマークよりも、はるかに防犯に役立つはずだ。
最近わが国では、防犯のまなざしがうとんじられ、ところによっては迷惑がられたりもしている。そして、まなざしが捉えた心配を声に出す勇気が失われつつある。
その傾向に比例するように犯罪が増え続けている。犯罪者が狙いたくなるのは、「隣は何をする人ぞ」というコミュニティーであることは間違いない。
物理的な防犯も大事だが、防犯のまなざしと、一声掛ける勇気を大切にしよう。
カテゴリー: 投稿者 :松井









