<< 錯覚 | メイン | 大工さんとの忘年会 >>

2006年12月28日(木)

コタツの中のベートーヴェン

昨夜、N響の第九を聴きに行った。
私が第九に興味をもったのは、玉川学園中等部に入学してからだ。
毎年暮れには礼拝堂に中学生から大学生の全員が集まり、歓喜の歌を大合唱するのが恒例だった。
あれは高校1年の時だったと思う。第九が深夜に放送された。交響曲として聴きたい、その一心で家人が寝静まってからラジオを掘りごたつの中に持ち込んだ。腹這いになって反対側から頭を突っ込み、灰で覆った炭火の火照りを顔面に受けながら開始を待った。
「タターン、タターン、タターン、タタタタッタタッタター」
ああ、これが交響曲なのか、これがベートーヴェンなのか、初めて聴く音のハーモニーに惹きこまれていった。
そして第三楽章のアダージョに、初恋の人に対する想いを絡ませつつうっとりしていると、しだいに意識が朦朧としてきた。
「どうして、どうして、歓喜の合唱の前に眠ってしまうのだ?」
一瞬、我に返って気がついた。一酸化炭素中毒になりかけていたのだ。
あわてて、布団の外に顔を出して深呼吸を繰り返し体調の回復を待って再度コタツに戻ったとき、歓喜の歌が始まっていた。
 
なぜ、そんな聴き方をしなければならなかったかと言えば、父がクラシック音楽に関心を示すようになった私を異常なほどに嫌ったからだ。
躾に厳しく、着るもの、食べるものに対して美意識を発揮するのに、クラシック音楽には偏見を持っていた。
「末は検事か弁護士か」を夢見ていた父としては、音楽好きのひ弱な息子になられてはたまらなく嫌だったのだと思う。
「クラシックなど聞くやつにはろくなのがいない」
第九を聴いた夜から、私は父が口癖にするその言葉に激しく反抗心を燃え立たせるようになった。
「ベートーヴェンを理解しないなんて、人間ではない」
私は心の中で叫ぶようになり、父とは心が通い合わなくなった。
 
毎年暮れは第九を聴きに行くことにしているが、聴くたびに掘りコタツを思い出す。そして父を想い、感謝の念で胸がいっぱいになる。

カテゴリー: 投稿者 :松井


 
PAGE TOP