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2007年03月07日(水)

「鈍感力」

渡辺淳一の「鈍感力」(集英社)が売れている。
小泉元首相が、「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ」と発言したら、爆発的に売れ出したという。
渡辺さんはブログに書いている。
「この鈍感力の最たるものは母親の子供への愛です。たとえウンチでも、子供のものなら色を見て匂いを嗅いで、さらに汚したご飯もつまんで食べることができます。たとえ子供が罪を犯しても、母親だけは許します。この大きな愛こそ、鈍感力以外のなにものでもありません。
 また、男と女の愛も見方を変えたら鈍感力で、愛する人のことなら、かなりのことでも許せます。」

私は思うのだ。
渡辺さんのそれらの感性は、鈍感すぎると。もっとも、鈍感を勧めているのだから、その手本になる感性を示さなければならないので、こじつけ的に書いているのかもしれない。
子供が罪を犯した場合、親が許すのは鈍感さのためでは決してない。許す、許さないの範疇をはるかに超えた親子というどうしようもないしがらみで、ひたすら耐えるしかないからなのだ。
子が犯した罪を鈍感で処理できるとしたら、それは親とは言えないはずだ。
また、そんな鈍感さを被害者はもとより、世間が許すはずがなかろう。
また、愛するものが許せるのは、鈍感さが故ではない。鈍感人間には、崇高で熱烈な恋愛はできない。
もっとも、「愛の流刑地」のヒロインの死は、周囲に与える迷惑に関してきわめて鈍感であった。鈍感は、自分勝手と同義語であり、相手に対する思いやりの欠落でもある。
最近の世の中は、鈍感力が目立ちすぎている。
雪印をはじめ不二家もそうだ。雑菌にも、賞味期限にも鈍感で、自分勝手な商売をする。日興コーディアルグループにしても、悪いことをする輩に共通しているのは、社会的責任、順法、倫理に対する鈍感さだ。
渡辺さんはこうも書いている。
 「これまで鈍感というと、なにか悪いマイナスイメージのものと思われがちでしたが、そんなことはありません。ひりひりと傷つき易い、鋭く敏感なものより、たいていのことではへこたれない、鈍く逞しいものこそ、現代を生き抜く力であり、知恵でもあるのです」と。
それは一面の真理ではある。しかし人も企業も、とりわけ家造りに携わるものは特に、「ひりひりとした、鋭く鋭敏な神経」を研ぎ澄ますべきである。

カテゴリー: 投稿者 :松井


 
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