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2008年05月21日(水)
国立新美術館

モディリアーニ展を見に国立新美術館へ行って来た。
建物の外観は、曲線を多用するガラスのカーテンウォール。外側がルーバーになっていて閉じると通気層になり、冬は暖房効果を高めるのに役立つ。
ドイツでもオランダでも最近よく見かけるスタイルである。
エントランスに近づくと、ドアが内側に傾けてあるのに違和感を覚えた。
視界には建物の左端が外側に傾いているのが見えるため、ドアの傾きが強調されて不安定感が増幅される。

ロビーに入ると、写真の円錐形をした巨大なコンクリート塊に圧倒された。
「うえーっ、なんだこれは!」
私は、その場が美術館であることを忘れてしまった。
一瞬、中国の大地震を思い出したからだ。
「大地震が来たら、あのコンクリートの塊は大丈夫なのだろうか?」
木造の家造りが心身に沁みこんでいるせいか、不安定な形状のあまりの存在感に圧倒されたのか、私はバランス感覚を失ったままモディリアーニと対面することになった。
血圧が異常に上がったような感覚でふらふらと歩いて行くと、「頭の後ろで両手を組み、長椅子に横たわる裸婦」と出合った。
見事だった。圧巻だった。
一瞬にして血圧は正常に戻り、感覚も冴え、心身ともに高揚してきた。
モディリアーニの素晴らしさは、やはり裸婦像にある。
作品を眺めていると、描き始めたときにはなかった妖しい雰囲気が、時間の経過とともに増していくのがわかる。
手と足先が描かれていないために、モデルの心状に対する想像が一層煽られる。ボディーの語らいは明らかだが、彼女の瞳は読み切れない。そのもどかしさに惹きつけられてしまう。実に憎たらしくも見事な構図である。
会場の外に出ると、そこにはコンクリートの塊が覆いかぶさるようにそびえ立っていた。
モディリアーニの色気は、この建物とは合わない。
絵画鑑賞は、美術館によってかなり違った印象となり、思い出となることがある。
カテゴリー: 投稿者 :松井









