涼温な家 住み心地体感ハウス

松井修三の
思ったこと、感じたこと

新入社員

投稿日:2015年4月1日

工業高校を卒業したばかりのYさん、卒業後2年間の専門学校を卒業したKさんの二人が工事部に入社した。

Kさんは、すでに3年目に入る大工見習いのFさんとは同期であり、友人関係にある。

FさんがKさんに「いい会社だ。働き甲斐がある。仕事が魅力的だ」と薦めたという。


Kさんは、小さい時から大工である父親の背中を見続けていて、いつかは自分も大工になろうと決心したそうだ。

人手不足でどこにでも就職先を選べる時代に、小さい時から抱いていた夢を実現するためにマツミハウジングを選んでくれたのだ。


一方Yさんは、高校で学んでいくうちに、木造建築に興味を持ち、大手ハウスメーカーをはじめあちこちから声が掛かっていたにもかかわらず、就職担当の先生の推薦もあって当社を選んでくれた。


私は、社長が書いた「だから『いい家』を建てる。」28ページを開いて朗読してもらった。


■ 兄の旅立ち


仕事を辞めたことを現場監督として父の会社で働いていた二番目の兄に話すと、父には内緒だと前置きしてからこんな相談をしてきた。

「オレは、家造りの仕事は適していないと思うんだ。だって、ミリ単位の精度を求められるともう息苦しくなっちゃうんだ。柱と壁のわずかな隙間、ほんの少しの床の傷、柱や土台のちょっとしたひび割れ、そりなどを気にする世界よりも、畑仕事とか牧場で牛や馬の世話をしている方が自分には合っていると思うんだよ。だから、会社を辞めたいんだけど、代わりがいない。お前が代わってくれると助かるんだ」

兄は、高校を卒業して1年間は、バイクに乗って山梨県や長野県の農家を回ってアルバイトをしていた。たまに、見渡すかぎりのキャベツ畑を背景にしたり、籠いっぱいの高原野菜を運んでいる写真を送ってよこしていた。

その話を聞いたとき、私は体調が悪すぎたのと、父の仕事は手伝わないという意地もあって、とくに返事をしなかった。


ところがそれから10日ほど後に、兄は誰にも言わずバイクに乗って放浪の旅に出てしまった。

父と母は、口には出さなかったが後継予定者を突然失って、大変なショックを受けたはずである。

数日後、私は自転車に乗って、兄から聞いていた工事中の現場を見に行った。

前に小型トラックが止まっていて、作業着を着た人が残材やゴミを懸命に積み上げていた。

なんと、父であった。

そのことに気づいた私は、思わず素通りしてしまったのだが、「何で手伝おうとしなかったのか」という自責の念が沸き起こった。


その夜、私は父に申し出た。

「兄の代わりに働かせてください」と。

父はしばらく無言だったが、やがてこう言った。

「条件が二つある。一つは、仕事場に親子関係は一切持ち込んではならない。公私混同は許さないということだ。二つは、どんなに辛かろうと辞めない。それを約束できるなら、明日から出社することだ」


あれから25年が経った。あのときの新入社員が社長の松井祐三である。

3年間は絶対に辞めないことだ。3年が過ぎると、住む人の幸せを心から願う住み心地いちばんの家づくりの楽しさが分かってくる。

それはそれは、楽しいものだ。よその会社では絶対に味わうことができない。

その楽しさを知ると、そこから急速に仕事が面白くなる。つまり成長が始まるのだ。

その喜び、幸せを必ず与えると約束しよう。


今日は、新たに取得した隣地で、新体感モデルハウスの地鎮祭を行った。

新入社員も参加し、生まれて初めての玉串奉天の儀式を経験させた。

二人そろって祭壇に向かい力を込めて拍手する、緊張に凝り固まった後ろ姿に、私はマツミハウジングのさらなる飛躍を見る思いがした。

  • 松井 修三プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
    「いい家」をつくる会代表
  • 著書新「いい家」が欲しい。
    (創英社/三省堂書店)
    「涼温な家」
    (創英社/三省堂書店)

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