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住み心地のいい家 「涼温な家」を建てています。 「涼温な家」マツミハウジング

涼温な家 住み心地体感ハウス

松井修三の
思ったこと、感じたこと

独り暮らし

投稿日:2015年2月18日

女房の母は、97歳で他界したのだが、3か月前まで健康寿命を全うした。

90歳になったとき、長野県戸隠村で独り暮らしをしているのだからと「見守りカメラ」の設置を勧めた。

ところが女房は、そんなものは不要だと言い切った。


女房の考えはこうだった。

独りで生きられる間は、やたら干渉しない方がお互いにとって幸せなのだ。カメラで見守っているからといって、何も安心にはならない。母は、畑に出ることが大好きなのだから、畑に出ている間はカメラには写らない。

元気なのに、姿が写らないとなれば要らぬ心配が起こるに違いない。

私も元気に生きる。それが一番の親孝行だから。カメラで見守ることが、親孝行だとは思えない。


私の母も、90歳過ぎても群馬県の四万温泉で温泉三昧の独り暮らしをしていた。

地元の人の中に、親切な人がいてある日女房に電話してきたそうだ。

「地元では、あんな高齢者を一人にしてほっておくなんて、なんと薄情な息子さんなんだろう。何かあってからでは遅いので、東京で世話すべきではないかと言っている人が多い」と。


私も同じ思いで悩んでいた。

本人の意思を尊重するのが一番だと自分に言い聞かせてきたのだが、やはり世間体がある。四万の冬は寒い。スタッドレスを装備した車で月に1度は訪問した。

母はこたつで丸くなり、温泉に入る時間になるとやおら身支度を整え、小さな洗面器に湯道具を入れて共同浴場へ出かけていく。

ある日、「道に気を付けな。石ころが危ないから」と声を掛けたことがあった。

すると母は笑って答えた。

「石ころがあるのが四万の道だよ。その石ころで転ぶようでは、私もおしまいだよ」と。


想像力がもたらす心配性と、世間体を気にする小心さが、それから2年して姉に預けることになり、母の独り暮らしは終わった。

幸いなことに周りには、母のファンが慕い寄ってくれて、毎日にぎやかに楽しそうに暮らしていた。 100歳まで生きたのだが、最後の2年は寝たきりになった。

見舞いに行った私に語りかけた。

「四万の暮らしが懐かしい。温泉というのは、毎日味わいが違うのだよ。心を清めて元気にしてくれる。お前が良く心配してくれた石ころも、友達のようなものだった」。


孤独の辛さを十分想像できる年齢になったのに、もし、あのまま四万で好きなように独り暮らしをさせていたらとの思いは今も消えない。

  • 松井 修三プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
    「いい家」をつくる会代表
  • 著書新「いい家」が欲しい。
    (創英社/三省堂書店)
    「涼温な家」
    (創英社/三省堂書店)

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