涼温な家 住み心地体感ハウス

松井修三の
思ったこと、感じたこと

「凄み」

投稿日:2013年11月9日

すでにお読みになられた方も多いと思われるが、島倉千代子さんを悼む今日の日経「春秋」をぜひご紹介したい。文才のあまりの違いに唖然とするが、この表現にぐっときた。

「そういう境遇を乗り越えて、60年にわたり歌とともに生きた凄みをどう言葉にしよう」。

島倉さんのあの優しい歌い方に、「凄み」を感じる筆者の感性に共感を覚えたのだ。

プロ中のプロと言われる人たちのパフォーマンスには、「凄み」という最高の賛辞が贈られることがあるが、私は、マツミの社員・大工・職人にそれに近いものを感じるときがある。これから年末にかけて、地鎮祭、上棟、お引き渡しが連続するが、みんな安全に注意してお客様に喜んでいただけるようがんばってもらいたい。


<伊丹十三監督の映画「お葬式」に、泣かせる場面がある。父親が死に、親戚友人が通夜ぶるまいの酒に酔って騒ぐ。その喧噪も果てた夜更け、長女が「東京だョおっ母さん」をしみじみと歌い、踊ってみせるのだ。久しぶりに手を引いて 親子で歩ける嬉しさに......。▼父親が好んだ曲なのだろう。子どもたちもそれを聞いて育ったのだろう。戦後日本の数知れぬ人々が親しんだこの歌を、親子の情愛や望郷を物語る小道具に生かした監督のセンスに感心するほかない。そして何といっても、これを歌い続けた島倉千代子さんの切々たるビブラートを思い起こし、心を揺さぶられるのである。▼16歳でデビューし、やがて芸能生活60年になんなんとする、その人が亡くなった。「この世の花」「からたち日記」「りんどう峠」「人生いろいろ」......。時代の哀歓を映した曲の数々が胸をよぎる。歌をただ歌うのではなく、どこまでも聴衆に歌いかけていく姿がまぶたに浮かぶ。叙情あふれる高い声が耳によみがえる。

▼幼少時の左手の大けが、巨額の借金、闘病とたどった道はひどく険しい。そういう境涯を乗りこえて、60年にわたり歌とともに生きた凄みをどう言葉にしよう。「東京だョおっ母さん」を歌うときのこの人には、ものに憑かれたような迫力があった。戦争の悲惨。戦後の痛苦。昭和の日本人の情念を託せる歌い手が去った。>

  • 松井 修三プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
    「いい家」をつくる会代表
  • 著書新「いい家」が欲しい。
    (創英社/三省堂書店)
    「涼温な家」
    (創英社/三省堂書店)

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