涼温な家 住み心地体感ハウス

松井修三の
思ったこと、感じたこと

高齢者と住まい

投稿日:2013年6月19日

(書斎からの眺め)

6月7日の朝、鏡に映る自分の顔を見て「あれっ?」と思った。

口の端が歪んでいるのだ。そう言えば二日ほど前から、体の中心が定まらないような違和感があった。

会社へ出かけ電話で話している最中に、なんだかしゃべりづらく感じた。

昼食を取ろうと、久保田さんが運転する車の中で、このところ感じている体の違和感について話した。

久保田さんは、過日、テレビで脳卒中の疑いかなと思ったら行うテスト方法「FAST」についての番組を見ていた。

「Face(顔の麻痺)と、Speech(言葉の障害)が当てはまるならArm(腕の麻痺)のテストをしてみましょう」と車を止めた。

両の掌を上に向け、両腕をまっすぐ伸ばし目をつむる。すると、二度テストして二度とも左腕が平衡を保てず若干下がったそうだ。


「すぐに病院へ行きましょう!」

その声は驚くほどに厳しかったが、私は逆らった。

「昼飯を食べてからでいいでしょう」

「ダメです。脳の場合、対応が早ければ後遺症もなく普段の暮らしができる薬があるそうです」と、断固として譲らない。

それでも、とにかく昼ご飯は食べなくてはと渋る私に「Time(発症時刻)が問題なんです」と、にべもない。ということで、かつて人間ドックでお世話になったことがある三鷹の杏林大学病院へ連れて行かれた。


受付で症状を言うと、すぐに車椅子に乗せて緊急外来へ行くように言われた。自分で歩けるという私を叱りつけるように久保田さんは強引に車椅子に座らせると、かなり離れたところにある緊急外来口まですごい勢いで坂道を押して行った。

「病人扱いをしないでください。まあ、とにかくご飯を食べてから診てもらいましょう」

と、私はそのときになっても食事にこだわっていた。


緊急外来でも、まず最初に「FAST」が行われた。

そしてしつこいほど「いつ発症したか?」を問われた。

そう言えば、前の晩に女房と犬の散歩をしていたとき、ほんのいっときではあったが、やけに左足を重く感じたっけ。その後だったか、歩くのに少しふらつきを覚えるようになったっけ。こんな感じで思い出すままに話していると、担当者の表情から緊張感が消えていくのが分かった。

「一過性の小さな梗塞が起こっただけですよ」と、久保田さんに自己診断を聞かせていたらまた車椅子に乗せられた。CTをはじめMRI、血液、心電図などと矢継ぎ早に検査が行われ、午後5時ごろにはベッドに寝かされて、これから主治医を務めると自己紹介した医師から「松井さん、病名は脳梗塞です。入院が必要です」と告げられた。

「あの。お腹がすいているのですけど。連れの人も昼ご飯を食べていないのです」

私は、哀れっぽく懇願した。中堅のやり手な感じの医師は「食事はしばらく見合わせてください」と威厳を放って言った。

それからは若い看護師さんたちが点滴の準備をし、私はたちまちのうちに完全病人に仕立て上げられてしまった。

久保田さんが「社長にも伝えます」と言った。

「久保田さん、それよりも食事ですよ。なんとかなりませんか?」

それを聞いた主治医は、さらに威厳を込めて言った。

「これから点滴しますから2、3日食べなくても心配ありません。いまは誤嚥して肺炎になることの方がこわいのです」と。

そうは言っても、どこも痛くも痒くもないのに、昼も食べられず、夕食も食べさせてもらえないなんてひどすぎる。私は腹が減るのには耐えられない人間なのだ。


次の日、主治医は個室に訪ねてきた。一通り診察が終わると、優しい顔で言った。

「発症の部位が、数ミリずれていたら重大なことになっていたでしょう。これだけの軽症で済んだのは奇跡ですよ。松井さんは運の良い人ですね」と。そして、「おなかは、減りましたか?」と尋ねた。

「いえ、減りません」

私は、夜中にすでに病人になる覚悟を決めていた。

「今日のお昼から食事を用意しましょう」

医師は、にっこりと笑った。


そして、14日に医師の反対を押し切って退院した。

社長が気を使って、前年完成したばかりの最上級の個室を頼んでくれたのだが、すべての点で「涼温換気の家」よりも住み心地が悪く、我慢の限界だった。

食事をまずく感じるのは仕方がないとして、空調をはじめ、照明・スイッチ・カーテン・便器・シャワーがよくない。使い勝手に思いやりがない。マツミだったらクレームになるところだ。

そう言えば、このところクレームの電話がない。些細なクレームもツイッターに上げ、社長の祐三から私に報告が入ることになっている。

彼の声のトーンで内容が察せられる。私が何よりも関心を持つのは、彼が自らクレームに直ちに対応しようとしているか否かである。

ほんの僅かでも行動を渋るような感じを受けると、私は烈火のごとく怒ってきた。2007年に祐三を社長にしたのだが、それ以前の専務だった頃には何度かそんなことがあった。


祐三が社長を引き継いでからすでに6年になる。

このところクレームを聞かないということは、お客様がその分を我慢されているのではないかと心配になった。

そこで電話をした。

タイミングが悪かったせいか、返事が素っ気なかった。

「クレームはありません。仕事のことは心配ないのでゆっくり休んでいてください」。

気に入らない返事をするものだ。私を病人扱いするんじゃない!

「社員の机や、車の中の整理整頓の具合はどうだ?」

整理整頓ができなくなるとお客様とのちょっとした約束事を忘れがちになるものだ。

「注意して、気を配るようにします」

そうだよ。その気配りが大事なのだ。


今回の経験で、私は多くのことを学び、感じた。

脳梗塞の疑いがあったら、周りの人は断固として病院へ連れて行くべきだし、自分でも、そうすべきだ。しかし、これが思いのほか難しい。

ふだんの食生活を見直し、甘いもの、脂っこいものをとりすぎない。

適度な運動を心掛ける。


また、自分が先頭に立たなくても、マツミハウジングも、<「いい家」をつくる会>も想定以上にうまく回っていくということだ。マツミの場合、社長をはじめ専務、部長、社員全員がお客様に喜んでいただけることを最上の喜びとしている。「いい家」の会員もそのとおりだ。

これは、すばらしいことだ。


ならばこの際に最前線はみんなに任せて、70歳になったときからライフワークとして始めた「高齢者と住まい」についての研究に専念するのがいい。前頭葉もドーパミン神経も極めて健全なのだし。

来年には後期高齢者の仲間入りをする私にしかできない、わからないことはたくさんある。

改まってこのようなことを書くのも気が引けたが、発語(構音)に軽い症状が出たぐらいで済んだことに大いに感謝しつつ、これからの私の在り方を書かせていただいた次第である。

これまでのように地鎮祭や上棟には立ち会えないだろうが、私の研究成果を楽しみにしていただきたい。

すでに共同研究をしたいという申し出が、数人から寄せられている。


いま30代、40代の人であっても老後は必ずやってくる。

「老後頼れるいちばん確かなもの」<「いい家」が欲しい。>49ページ。

それこそが建てるべき「いい家」である。

大手ハウスメーカーが勧めている「環境配慮型住宅」や「スマートハウス」「ゼロエネ住宅」などではないのだ。

どなたも、いずれはこのことを痛感されるに違いない。

  • 松井 修三プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
    「いい家」をつくる会代表
  • 著書新「いい家」が欲しい。
    (創英社/三省堂書店)
    「涼温な家」
    (創英社/三省堂書店)

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