涼温な家 住み心地体感ハウス

松井修三の
思ったこと、感じたこと

足立美術館 思ったこと、感じたこと

投稿日:2013年10月20日

宿で朝食の前に、目の前に広がる砂浜を散歩した。

出雲大社は島根県にあるが、皆生温泉は東隣りの鳥取県の西北端に位置する。昨夜露天風呂から見た灯台は島根半島の最東端の地蔵崎にある。

「あの方も、ここに立ったのでしょうね」

久保田さんが独り言のようにつぶやいた。

「あの方って、ご主人さんですか?」

「えっ?違いますよ!」

「ではどなた?」

「伊能忠敬(いのう ただたか)さんです」

「ああ、日本地図を作製した人ですね。そう言えば、この湾の形状を描くためには、東に見える風力発電が建つ突端部分と、北に見える灯台までのそれぞれを歩測しなければなりませんね。これからやってみますか?」

実際にやりかねないと思った女房が、「私はだめ。お腹がすいて、とても付き合いできません」と言った。久保田さんも同感だった。

そういえば、忠敬がこの地を歩測していた頃ではないのだろうか、大黒屋幸大夫が馬そりで約6200キロメートル離れたペテルブルグまで、極寒のシベリアを昼夜なく横断していたのは。

我々は、なんとひ弱なのだろう。たった2から3キロメートルも歩くのが億劫であるとは。私は、偉大な先人たちの艱難辛苦を想像して食欲が盛り上がった。


足立美術館は、山陰道の方面から接近するとひなびた風景の中に地味な形状として見える。

「よくぞまあ、こんなところに建てたものだ」

これが第一印象だった。

駐車場に車を停めて外に出ると、正門の矢印が目に入った。どうやら、裏側の駐車場に停めたようだ。正門から見ると、奇をてらわない落ち着いたたたずまいにホッとする。建築家が腕自慢するようなデザインの美術館は、見ただけでうんざりさせられるものだからだ。左側に造られた枯山水の庭園が予告編を見せられたようで、ワクワクする。ここでまず私は足を止めた。落ち葉を一枚も見かけないことに気付いたのだ。これは不思議な光景に思えた。

正面玄関から中に入り、庭園を見た瞬間、今や伝説的に語られている名庭園がラスベガス的な眩さで、目に飛び込んできた。

テレビや、雑誌で何度も見たことがあり、いつか必ず訪れようとの願いが叶ったのだ。ラスベガス的との表現は、アメリカ人に人気が高いというだけでなく、スケールの大きさや派手やかさからだ。京都の古刹のような地味な雰囲気とはかけ離れていた。

そこでまた私は感動させられた。

一枚も落ち葉が見当たらないことに。

あちこちでこの事実を再確認するたびに、私の感動は深まった。

ルーブル美術館を最初に訪ねたとき、作品は忘れたが女性の裸像の下に、分厚く埃がたまっていたのを見てしまった悪印象が思い浮かんだ。

この広大な庭園の落ち葉を、いったいどのようにして掃除するのだろうか?

そして、思った。この世界一のスケールと美しさを誇る枯山水の大庭園は、「生きている」と実感した。

これを造った足立全康さんの遺志が、四方八方に気迫となって行き渡り、美しく輝いているのだ。


庭園の派手やかな色彩の残像が消えやらぬせいか、最初私には、横山大観の絵が、いまひとつしっくりこなかった。もともと、私は横山大観の作品を決して好きではなかった。この年になっても、「朦朧体」(もうろうたい)とも言われるその画風を理解できないままでいるのを再確認させられた思いがした。

足立さんが大観に目を付けられた当時でも、「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」と批判する人も多かったようだが、足立さんには断固とした審美眼があったのだ。

そんな思いで観ていると、しだいに庭園の残像が消えるとともに、足立さんの審美眼がいかに優れたものであったのかを思い知らされるようになった。

それと共に思ったことがあった。大観というどちらかと言えば地味な作品を、一人でも多くの人に見せたいとなれば、その美術館には人寄せの何かが必要だ。それが、ラスベガス的な枯山水の発想である。いまでは、足立美術館といえば、庭園の美しさの方が有名になって、世界中から観光客が押し寄せるようになっているそうだ。

優れた事業家としての面目躍如たるアイディアだ。だがしかし、美術館としては本末転倒とも言えよう。

新館の出口に近いところに、全康さんの年譜が大きく飾られていた。


「74歳 迷わず前進 規模の拡大をはかる」

その前年には、「入館者が伸びず、思い悩む」とある。


私は、この2行が、足立さんの全人生を語っていると感じた。

1899年、島根県に生まれ、23歳で炭の行商から始めて、71歳の時に美術館を開館した。そして、91歳で他界されるまでの人生が2行に凝縮されていると思った。


出雲大社と足立美術館。私は、いずれからも心が洗われ、癒され、元気と勇気をもらうことが出来た。これからも、さらに「いい家」づくりに挑戦し続けよう!

  • 松井 修三プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
    「いい家」をつくる会代表
  • 著書新「いい家」が欲しい。
    (創英社/三省堂書店)
    「涼温な家」
    (創英社/三省堂書店)

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