第49回
たかがハグ、されどハグ
「フリーハグ推進委員会?」という記事に目が留まった。
11月19日の日経新聞夕刊の「プロムナード」に、ドイツ文学者である松永美穂さんが書かれたものだ。
要約するとこんなことである。
「大学生で初めてドイツの家庭に滞在したとき、家族が抱擁やキスをする姿に驚いた。あるとき、その家のおかあさんと意見が対立して、仲直りのために彼女が私を抱き絞めようとしたとき、慣れていなかったので思わず身を引いてしまい、さらに彼女を傷つけてしまった。これを機に、私もみんなに合わせようとスキンシップで感謝の気持ちを表した。それから四半世紀が過ぎ、抱擁に対して抵抗の無くなった自分は、いろいろな人たちと「挨拶としての抱擁」を繰り返してきた。娘も大学のとき『フリーハグ運動』に感銘して、大学祭でやり始めた。フリーハグというのは知らない人(知っている人でもいいけど)と抱擁し合う、というただそれだけのことだ。娘は自分が疲れた顔をしているとよく抱き締めてくれて、『これが親孝行』なのと言っているが、たしかに、スキンシップが心を癒してくれる部分はすごくある」。
私はこれを読んで、事故で突然夫を失ったときを思い出した。
事後処理に追われ、毎日くたくたに疲れて、先行きへの不安と寂しさで寝られない夜が続いていた。
私は、そんなときにいつか見た映画のシーンを思い浮かべていた。それは、暮れなずむ公園で、立ったままただ黙って抱きしめられている女性の姿なのだが、私もそうして欲しいと幾度思ったことだろう。
あれから15年が経過して、そんな弱気はすっかりなくなったのだが、先日、遊びに来た友達がこんな話を聞かせてくれた。
「今、父は老人ホームに入っているの。会いに行くと嬉しそうでね。帰るとき私は、思いっきり父をぎゅうってしてくるのよ」
彼女はそう言って、抱き絞める仕草をした。一瞬、腕の中にお父さんがいるかのようにリアルに抱き絞めた。
もう一人の友達が、「えぇ!そんなことして恥ずかしくない」と目を丸くして聞いた。
「なんで?だってそれが父との最後になるかもしれないじゃない。会いにいくたび、そう思えてならなくて、父をぎゅうってしてくるのよ」と、また抱き絞める仕草をした。私はその話を聞いて、胸が熱くなった。
そうだ。タイムリーなスキンシップほど、心を癒し、励まし、元気を与えてくれるものはないはずだ。私は、それが欲しかったときにしてもらえなかったが、これからは家族のためにやってみようと決心した。
その夜、帰宅した高校3年生の息子を待ち構えていて、思い切ってトライした。息子はびっくりして身をかわしたので、私の両手は行き場を失い、滑稽に空を泳いだ。
そこで気持ちを立て直し、今度は大学1年の娘の帰りを待ったのだが、居合わせた息子が「今日はママのテンションがおかしいから注意しな」と声を掛けたために、これまた失敗に終わった。
たかがハグ、されどハグ。わが家ではとても実現しそうもない。
近々、両親の結婚50周年祝いをすることになっている。その機会に、父と母を「おめでとう」とハグしてみよう。これまでの感謝と、いつまでも元気でいて欲しいという願いを一杯こめた特上のハグを。
でも、勇気がいるなー。
2008年11月20日
久保田 紀子
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