K様からお手紙を頂きました。
ご主人様より
”家つくりのエピソード”
最初は、リフォームを考えていました。地元のビルダーであるSハウスが外断熱改修ができるというので、そちらにお願いしようかと思っていたときに久保田さんの本に出合ってマツミハウジングにも興味を持ったのです。
両社が下見のためにわが家を訪問してくれることになった日が、偶然同じ日の午前と午後になりました。午前中に来られたSハウスは、営業マンと外注の設計士という組み合わせだったのですが、下見はろくにせず、建て替えを前提にした話ばかり。設計士はもっぱら今まで自分が設計した家の自慢をしていました。写真を山ほど見せられたのですが、パッと見には素敵なのですがどれも心にストンと落ちるものがありません。見せられた写真の中に定年後の老夫婦の依頼で建てたという和風建築の家がありました。玄関の敷居がとても高く、和風の趣は立派に見えたのですが、どこか暗く、住み心地が悪そうに見えました。いくら和風希望といっても体がいうことをきかなくなったときに使いづらい家を60代の御夫婦に設計してどういうつもりなのか疑問でした。また、狭いパティオに施主の希望というもみの木が植えてあったのですが、空間に対して大きくなり過ぎる木なのではと疑問に感じました。
何よりも不安に感じたのは、施主の希望は全て通しますという言葉でした。二人の印象は、とにかく受注しよう、営業成績をよくしようという感じが強く、モデルハウスやパンフレットから受けた印象とはだいぶ違ったものだったのです。
午後にマツミの社長(当時は専務)の松井祐三さんが部下を伴いやってきました。家の外回りを丹念に見た後で、中に入り、いきなり床下を見たいと言われて驚きました。「えっ、床下から見るのですか?」と思わず聞いてしまったほどです。
次に、小屋裏に上がり細かく観察して、すべてのチェックが終わってテーブルに座り、リフォームについての当方の希望を丁寧に聞いてくれました。そして、基礎や構造、断熱の状態などについて分かりやすく説明をし、「会社に持ち帰りよく検討してからどのようにしたら良いかお返事します」と言われて帰られました。
もうそのときに、私たちの気持ちはほぼマツミにお願いしようと決まりました。Sハウスとマツミハウジングとでは、姿勢がはっきりと違った印象を受けたからです。その後、地盤調査の結果などいろいろと検討を加えたところ、建て替えることになり1年後には無事新居が完成しました。
それから1年もしない頃にマツミさんから「ソーラーサーキットの家」は止めて「新換気SA-SHEの家」と取り組むことになったと知らせを受けました。後で知ったのですが、マツミハウジングが方針を変えたことでソーラーサーキットグループに波風が立ち、松井さんに非難や中傷が浴びせられるようになったとのことです。
ネットを見ると、「マツミってどうですか?」というところに、ソーラーサーキットがいいとさんざん勧めておきながら方針を変えたのは許せない、だまされたというように非難する意見と、カネカと喧嘩別れしたので仕方なく「新換気SA-SHEの家」に切り替えざるを得なくなったのだという書き込みが目立ちました。
しかし客の立場で考えますと、マツミの家造りが客にとってプラスになる方向へ進化するのであればたいへん嬉しいことです。技術革新と取り組むことは、これからもどんどん果敢にやって欲しいと思います。もっと良い方法があると分かったのに、付き合い上とか、やりなれている儲けやすい方がいいから続けていようというような考えはずるいと思います。客の立場では、とても不愉快です。それこそだまされたと思うでしょう。
私たちは、「正直にいい家を造る」というマツミの家造りに一生の家族の幸せを賭けたのです。これからもマツミハウジングを信じ続けていきます。
過日、鳥羽に1泊で家族旅行に行きました。何気なく観光で立ち寄った御木本真珠島で真珠王・御木本幸吉翁の生い立ち、真珠養殖にかける情熱を知りとても深い感銘をうけました。人から何を言われようと、どんな苦労をしようと決して信じた道を曲げずに生き抜いて、亡くなる間際の言葉は「すんだね ありがとう」だったそうです。私はそんなに意志の強い人間ではありませんが、でもいずれ来る最後は「ありがとう」で締めくくれる生き方だけはしたいと思っています。マツミの家なら、きっとできると信じています。
「思ったこと感じたこと」の第47回、久保田紀子さんの「あなたは住む楽しみをご存知ですか?」ではないですが、私たちの「住む楽しみ」は家にいることです。人と集まるのも、家族の団欒も一人でいるときも、この家が一番です。この、他には代え難い楽しみがずーっと続いて、最後には家にも「ありがとう」が言えるようになることが私たち家族の願いです。今後ともよろしくお願いします。
真心のこもったお手紙をありがとうございました。