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松井祐三の「外断熱」物語

第五部 転機

自宅を建てる

それから数ヵ月が過ぎて、父から一枚の紙を手渡された。そこには簡単な地図が書かれていた。

「ここに家を建てたらどうか」

父の言葉はそれだけだった。母に尋ねると、その土地は父が昔から親しくしている不動産業者が紹介してくれた借地で、駅に近いし、南道路で、広さも価格も手ごろなので買得だという。

母の説明は、かつて不動産業を手伝っていただけに説得力があった。

その夜妻に相談した。すると彼女が、

「どうも体調がおかしく感じられるので、今日お医者さんに行ったの。そしたら、妊娠しているって」と告げた。

その夜、久保田さんの言葉が思い出されてならなかった。

翌朝、妻に話した。

「丈夫な赤ちゃんを産んで欲しい。あなたと子供たちのために〝いい家を建てる〟」と。

その決意が、わが家に転機をもたらした。妻は別人のように変わっていった。笑顔がもどり、鼻歌をうたい、活発になり、子供たちに優しくなり、よく食べるようになり、体重が目に見えて増えていった。

われわれは毎晩のように、新居のプランについて話し合った。いざ、わが家となると、つい力んでしまい、建築家の端くれとして恥ずかしくない作品にしようと意気込んだ。これならと確信したアイディアをスケッチしたものを父に見せた。すると、「何様の家を建てようと考えているのだ。テレビや住宅雑誌を意識するのではない。使い勝手が良く、住み心地がよいことに徹しなさい」と、アドバイスされた。

その一言で迷いは吹っ切れ、地鎮祭、上棟と進んでいった。それらの過程を通して、私は、家を建てるときのお客様の喜び、期待や不安の大きさを改めて知ったのだった。

知らなかった本当の住み心地

2003年6月、三女が誕生して10日もしないうちに新居へ引越した。

梅雨に入っていたのだが、家の中がカラッとしていることにまず驚いた。

お客様からは聞いていた感動的な住み心地を、一つずつ後追いして納得する日々が始まった。

私はそれまでに200棟を越える「外断熱」の家造りに携わってきていたが、その本当の住み心地を知らなかった。

父がアフターメンテナンスを率先して行うことを求めたのは、実際に住んでいる人たちから体験談を聞くことで、経験不足を補わせようとしたのだが、住んで生活しないことには分からないことがたくさんあった。


新居に移ってもっとも妻を喜ばせたのは、次女の喘息の発作が急減し、半年を過ぎるとまったく起きなくなったことだ。

そのせいもあってか、妻の体調が見違えるように改善した。妻が元気になると、家庭は笑顔にあふれ、子供は明るくなり、亭主は家に帰るのが俄然楽しくなる。

何よりもありがたく感じたのは、熟睡できることだ。

暑さ、寒さ、湿気、臭いなどが気にならないと、寝ることと起きること、そして風呂に入るのが楽しみになる。以前の家では、冬は枕元を流れる冷気で目が覚め、寒くて朝起きるのが辛く、風呂に入るときは震え上がっていたものだ。夏は汗が吹き出て寝苦しく、朝起きると不眠で体調が悪い。

それにこれまでは、梅雨の時期となると、布団は湿気てかび臭さに悩まされた。その上、冷暖房費は年間30万円を超え家計を圧迫していた。

ところが1年間の費用をまとめ上げて妻が興奮して言った。

「冷暖房費が7万円ちょっとよ。3分の1に近い! それも、24時間快適な暮らしをしてよ。医療費も激減よ、ほとんど掛かってないのよ」

私が補足説明をした。

「家の広さだけど、前は25坪、新居はその1・5倍の37坪だ。

それに前の家は、冷暖房している部屋以外は不快で使えなかった。この家は、冷暖房に関係なく家中どこでもほとんど同じ温度だ。子供たちは、風呂から出るとすっぽんぽんで駆け回っているし、前の家では想像もできないことだね」

私は家造りに携わってきたが、自分の家を造って初めて、家が家族に与える影響の大きさを実感した。

妻は、感動し、目をうるませて叫んだ。

「いい家だわ!」

そのとき、私もまったく同感だった。


だが、それからわずか5年後に、その家は「新換気SAーSHEの家」に、さらに4年後の2012年には「涼温な家」へと進化したのである。

4つの「不」

「外断熱」に取り組んで間もなく、暖房の方法として父はイギリスで一般的な使われていた蓄熱式電気暖房機(クレダ)をお客様に薦めるようになった。深夜電力を使って夜間に蓄熱し、昼間に放熱するのだが、そのマイルドな暖かさはお客様から大好評を受けていた。

ところが、シロアリ問題から解放されてほっとしたのもつかの間、2004年10月23日、新潟県中越地震が発生した。新潟地方でも蓄熱式電気暖房機は使われており、そのほとんどが地震の揺れで転倒し、内部の蓄熱レンガが飛び散ったものもあり、幸い蓄熱前の時間に起きたので火災を引き起こすことはなかったとの知らせが入った。

イギリスのメーカーに問い合わせたところ、地震対策は持っていないが、転倒してもレンガが飛び出すことはなく、火災になる心配はないとのことだった。そこで私は、すぐに震度7クラスの揺れにも耐えられるようにするための固定の仕方について実験を開始した。答えは得られると確信していたが、問題は大地震に見舞われる前に改善工事を完了させられるか否かだ。

おおよその目途が立って、父はお客様に手紙を書いた。


〔クレダ暖房機の点検についてのお知らせ〕

年の瀬をすぐ目の前にして、このようなお知らせを致しますことは、はなはだ心苦しいのですが、お家の安全に関する重大事ですので是非お読み下さいませ。今ごろになってこのようなことを申し出ることについて、さぞかし不安を感じたり、お怒りになられる方もいらっしゃることでしょう。

年が明けてからと思っていたのですが、正月休みの間に大地震が発生しないとも限りませんので、お知らせします。

さて、お知らせとはこのようなことです。

新潟中越地震によって他社製の蓄熱式暖房機が転倒する被害が相当数あったという情報を得ましたので、弊社は直ちに対策プロジェクトを立ち上げました。


震度7という激震に襲われた地域では、木軸の構造が基礎から10センチほども飛び跳ねたケースがあり、深夜電気の貯湯タンクを固定している太いボルトが千切れたという報告もあります。

そのような激震に見舞われた場合でも、弊社が建てさせていただいた家は倒壊しないと私は確信しています。

しかし、設備機器、たとえばクレダ、その他の暖房機、エアコン、給湯器、貯湯タンク、キッチンセット、換気扇などに被害が発生しないとは言い切れません。むしろ発生する可能性が大であると思われます。

中でも、一番大きなタイプで160キロの重量があるクレダは、転倒する確率が極めて高いことを知らされました。

そこで、対策をどうしたらよいのか、緊急に答えが求められました。


その答えを得るには、まず下記の点について検証することが必要です。

1. 固定方法について

2. 転倒した場合の予想被害

(1)について、弊社と販売元である日本ゼネラル・アプライアンス株式会社は共同で各種の実験を繰り返し、これまでの固定方法の弱点と、その改善方法について答えを見出しました。

(2)についても、実際に最高温度に蓄熱されたクレダを転倒させて、火災が発生するか否かの実験を昨日までに終えました。このテストは、クレダを採用するに当たっても行っています。


その結果出た答えは、すべての家で固定方法について改善が必要であるということです。改善した場合には、転倒する確率を大幅に少なくすることができます。

もう一つの答えは、転倒した場合でも火事にはならないということを再確認しました。床が焦げることもありません。

一番の心配は、高熱のレンガが飛び出すということですが、いろいろと実験をしましたところその心配はないことを確認しました。その点で、クレダは安全性に優れた製品であります。

正月が明けましたら、補強金物の製作に入ります。予定では2月1日前後に出来上がりますので、皆様のご理解とご協力をいただいて、弊社は全力を挙げて改善作業を進めさせていただきます。もちろん、料金は無料です。


もしもその前に大地震がきた場合には、いち早くクレダの傍から離れて下さい。転倒した場合には揺れがおさまったらクレダのブレーカーを切って下さい。

床に倒れたまま放置しておけば、熱が次第に冷めていきます。火事にはなりませんから、あわてて水をかけたり、消火器を用いることはしないことです。

くれぐれも水を掛けないで下さい。熱湯になって噴出します。

最高温度に蓄熱された状態では本体正面の上部のスリット部分が100度ぐらいになります。背面は67度前後で、10時間後にはスリット部分は75度前後、背面は50度前後になります。新聞紙を載せておいても火事にはなりません。

スリッパを履いていれば、クレダの表側でも裏側でも踏んづけてもやけどをしませんから上を歩いてかまいません。高性能な断熱材がしっかりとレンガの熱を抑え切ってくれます。

起そうとしないで下さい。重量があるので危険です。地震が落ち着いたら、弊社で対処します。

ご家族の皆様に、その旨を徹底してください。


繰り返しますが、クレダそのものは地震に対して安全性の高い製品です。

2メートルの高さから、放り投げても中に納まっているレンガが飛び出すことは全くありませんでした。それだけ頑丈であるだけに固定の仕方をもっと検討しておくべきでした。

このようなご心配をお掛けしましたことは、私の怠慢であり、勉強不足であり、心からお詫び申し上げます。

なにとぞ、お許し下さいませ。

なお、補強・改善工事につきましては、あらためて年明けてからご連絡いたします。

まずは取り急ぎ、お知らせする次第です。


約1000台の耐震補強工事は、大工さんたちの協力も得て、ほぼ1年で完了することが出来た。最後の1件を終えて報告したとき父から初めて誉め言葉を聞いた。

「ご苦労さん。シロアリもそうだったが今回もよくやってくれた」

そして続けた。

「お客様に4つの不を与えないことだ。不満・不快は当然だが、不安はできるだけ速やかになくすことだ。不信はその怠慢によって生ずる最悪の結果だ」。

社長就任

2007年10月は、私にとって一生忘れられない。

新社屋が完成し、同時に二代目の社長に就任したからである。

新社屋は地下室付きの2階建てで、木造軸組の構造を「外断熱」とした。太陽光発電を搭載し、換気方法は、当時開発中だった新しいシステム(センターダクト換気)の実験を兼ねたものとした。

設計の段階から、常に頭の中にあったのは最初に勤めた会社の空気環境である。「いい家」造りに携わる社員が、私が体験したように、仕事場の空気が原因で健康被害を受けるようなことがあってはならない。経営責任の第一は、社員が健康的に働ける場を確保することだ。それなくして「いい家」づくりができるわけがないからである。

外観は、街道の雰囲気にマッチして飽きのこない落ちついたデザインとする。内部は、温熱、明るさ、空気、音、インテリア、そして省エネルギーに十分配慮する。何よりも大切なことは、耐震性、耐火性を高め、大地震に見舞われた場合でも事務所としての機能を失わないようにすることだ。

「家が存続する限り、家守りをする」というお客様との約束を果たすために、事務所は万全の強さと安全性を備えていなければならない。


創業から36年目にして念願の自前の事務所を持つことができたのだが、父にも私にも特別な感慨はなかった。というのは、「いい家」を進化させるという大命題と取り組んでいたからだ。

それは、エキサイティングで実にやりがいのある仕事だった。

会社では、一棟目の体感モデルハウスを建てたときから温度、湿度、二酸化炭素、化学物質の揮発やカビの発生状況などに関する測定を続けてきていた。その10年以上にわたる膨大なデータの分析を基にして、父のたぐいまれな感性と、一人だけ大学に行った弟の縁で参加してくれた室内空気室専門の学者と研究室、そして天才的と言われた技術者の献身的な協力があって「新換気」システムの開発に成功した。

私は、社長就任の翌年から、その家造りを本格化させ、同時に、基礎「外断熱」の画期的な防蟻工法である「MP工法」の普及とも取り組むことになった。

新たな時代

基礎「外断熱」の防蟻方法は、大きく分けて二通りある。

一つは、基礎の周囲に薬剤による防蟻ラインを構築する。もう一つは、薬剤を使わずに物理的に防蟻する。前者は、比較的に安価で施工をすることができるが、薬の持続効果は5年程度とされている。

そこで、物理的な防蟻方法が求められるのだが、それには主なものが三つある。


一つは、防蟻性のある薬剤を混入している断熱材を用いる。二つは、防蟻性のある素材で断熱材を保護してしまう。そして三つは、シロアリの食害を受けない断熱材を用いる。

これまでに建てられている「外断熱」の家で、もっとも多く用いられているのが一番目の方法である。費用が比較的に安く、施工が簡単なので用いられているのだが、防蟻性について問題視されている。シロアリは屍を乗り越え執拗な攻撃を繰り返し、ついには貫通し木材に到達してしまうことが実験で確認されているからだ。


二番目の方法は、先に説明したターミメッシュ・フォーム・システムだ。

施工が完璧であれば半永久的に防蟻効果が得られるので信頼性は高い。問題は、コストと施工の難しさにある。


三番目の方法は、一部上場企業の(株)JSPが開発したポリカーボネートを発泡させた「ミラポリカフォーム」という製品名の断熱材を用いるものだ。

その防蟻性能は、京都大学生存圏研究所の今村研究室及び他の研究機関で検証され、「木材保存協会」の認定を取得している。

問題は、断熱材と断熱材の合わせ目に生じる隙間からの浸入をどうやって防ぐかである。その方法が見つからなかったので普及が遅れていた。だが、私は2008年に、隙間に特殊な反応型硬化性樹脂を充填することでパーフェクトな防蟻性を発揮できる「MP工法」という新技術の開発に成功した。そして、断熱材メーカーと共同で試験を繰り返し、その防蟻性能が十分信頼できるものであることを検証している。

「MP工法」の開発によって、リーズナブルな費用と工期で、基礎「外断熱」からのシロアリの侵入を防ぐことが可能になったのである。

「長期優良住宅」を望むのであれば、耐震性能も大事だが、確かな防蟻性能をもつ基礎「外断熱」は必須のものである。「外断熱」をすることで、コンクリートは風雨による劣化から守られ、大きな熱容量を発揮し、床下環境を改善し、住み心地の向上に役立つのだから。


2011年3月11日に発生した東日本大地震がきっかけとなって、暖房方法の見直しが急務となり、翌年、「新換気」は「涼温換気」に進化した。

「いい家」それは「涼温な家」と断言できる家づくりである。

この時をもって、マツミハウジングの家づくりは新たな時代が始まったのである。